今朝は父の日の授業参観で息子の通う小学校へ。国語の授業だったのだが・・・何というか、こう、ぶっちゃけて言うと・・・バカバカしい授業だった。いや、別に授業をしている担任の先生がどうのこうのと言うんじゃなくって、たぶん公立の小学校における教育方針のせいなんだろ
う。教室でやっていたことを要約すると、
かわに、わにが すんで いた。
わには、かわから かおを だし、
どこへ いこうか、かんがえた。
わには、きしべに ねころぶと、
なにを しようか、かんがえた。
という五行からなる一節を、45分かけて子供たちに暗記させること。
みんなで何度も何度も音読し、それから4人1組になってグループワークで音読し、それから各班ごとに順番に前に出て大きな声で音読し、終わりのチャイムが鳴る頃には、僕も含めてみんなでうんざりしてました。
上の一節の中に「は」「を」「へ」が数カ所使われているのだが、教科書には「これらの使い方を学ぼう」とある。
確かに日本にいる子供たちがひらがなを読めるようになるのは人生を豊かなものにするために大事なことだと思うけど、1年生から文章のかたまりを暗記する必要があるのかな。「は」や「へ」を、読み間違えたって良いやん。6年生までに覚えりゃ良いやん。誰も口語で「wa-ta-shi-ha」とか「to-o-ku-he」なんて言ってる子はいないわけだし。
それよりも、「さあ、みんなワニさんみたいに寝転んでごらん」(文章の下には、ワニが寝転んでいる絵がカラーで可愛く描かれている)。「どう、何か良い考え浮かんできた?」とかなんとか言って、ワニに感情移入させる方が国語(言葉)の教育になるんじゃないの? 考えたことをクラスのみんなで発表して、皆でつっこみ合いした方がオモロいやん。
一事が万事。2時間目の算数はもう参観しなかったけど、妻の証言によれば、同じようなものだったらしい。こんなことを繰り返している間に子供たちの想像力はすり減っていくんだと思う。そういえば、僕自身もほとんど小学校(から高校まで)の授業は聞いていなかった。「早く休み時間来ないかな」とばかり考えていたのを覚えている。
でも、この小学校は僕にとって気の滅入ることばかりをやっているのではない。授業参観の後は、保護者会主催のコンサートが体育館であった。ピアノとヴァイオリンとソプラノ歌手によるクラシック音楽会。出演者はみな関西(西宮高校)出身のアーティストたち。ヴェルディの「乾杯の歌」、プッチーニの「私のお父様」、ヘンデル「涙の流れるままに」など全8曲を聴かせて頂きました。
最後は彼らがクラシック風にアレンジした校歌を5・6年生が合唱し、学校を出る頃にはいつの間にかプッチーニを口ずさむキゲンの良いお父ちゃんになっていた^^。
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