の抄録に取りかかったのは今朝遅くで、昼食を挟んでどうにかこうにか書き上げた。急ぎの仕事になってしまったわけだが、一応、お約束の800字を埋めることが出来、個人的には満足している。以下がその掲載予定の抄録です。この手の話に関心のある人はそう多くはないと思うが、理学療法をナリワイとする方で、1〜2分時間のある方はどうぞ目を通して下さい。
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第6回全国大学理学療法学教育学会大会
教育講演:「理学療法学の成り立ち、そしてカリキュラム」
私の記憶に基づけば、これまで理学療法学のカタチと理学療法士養成カリキュラムが表裏一体のものとして論じられることはなかったと思う。「いやいやそんなの昔から論じられてるよ」という人も中にはいるのかもしれないが、少なくともその議論が理学療法士のコミュニティーにおいて普く共有されてきたという実感が私にはない。今回の講演においては、二つの視点をもとに大学教育および理学療法学の成り立ちについて考えてみたいと思う。一つは国際的視点であり、もう一つは学際的視点である。前者については、私自身がアメリカの現地で目撃・体験した大学・大学院教育の中身を踏まえ、日本の大学教育および理学療法学教育の在りようを描きたいと思う。大学における教養教育、入学者の選抜、成績評価、大学間における教育レベルの標準化など、日米間で異なる点は多く、これらを中心に日本の大学・理学療法学教育の課題を探っていきたい。また学部教育(undergraduate)だけでなく、大学院教育・プロフェッショナルスクールの在り方についても言及したい。学際的視点についてもまた、私の個人的な体験をもとにしたお話をしようと思う。筆者は日本で言う「理学部」に相当する学部(School of Science)でプロの学者・科学者になるための大学院教育を受けたわけだが、理学系と医学(医療技術?)系の文化の違いを実感することが多々あった。端的に言えば、「世界観」「目指しているもの」「物事をどのレベルで理解しようとしているか」の違いと言える。「村」にはその村固有の歴史、慣習、常識、価値規準といったものがあるが、これらがその村の教義・教育に及ぼす影響について考察する。数年前、筆者が所属する神戸学院大学の学部カリキュラムの編成に関わる機会があった。上記の考察に基づく理学療法学の構築と、そのモデリングを反映した理学療法教育プログラムの立案・運用について、一端を紹介できればと思う。
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