2015年3月17日火曜日

誰に認められたいか

今夜も少しばかり雑感を。。。人が生きる意味はいろいろあると思うけど、「誰かに認められるため」に生きている人は少なからずいるのではないだろうか。たとえば両親とか恩師とか友人とか。場合によっては「誰かを見返すため」みたいな屈折した感情を伴うこともあるかもしれない。いずれにしても、こういう人がいると人生を頑張る理由がとても明確になって分かりやすい。僕も以前は、と言うかもっと若い時には、そういう人が一人や二人いたような記憶がある。だが、いつの頃からかそういうのって消え失せた。。。確かに世間(不特定多数の人たち)にはそれなりに認められたいとは思ってるわけだけど、そこには特にパーソナルな想いはない。どちらかと言えば純粋に打算というか生活のためというか、夢や希望や感謝、復讐といったものとは全く違う世界での話である。これって、ある意味、他人の世界で生きることから自由になったということなのかもしれないけど、もし仮に何かで成功を収めて人から「誰に今の喜びを伝えたいですか?」なんて質問されたら何と答えれば良いのだろう....? 神さま?  ま、的は外していないとは思うけど、そんな風に答えたらちょっと変な奴だと思われるだろうな.....いたって平凡、ノーマルなのに。

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