「改憲」と言うと「戦争」とセットで語られることが多いけど、僕自身が特に気になるのは国に対して国民が格下げされようとしていること。
今年の憲法記念日にこんなブログを書いたんですが、現行憲法第三章国民の権利及び義務の章にある「公共の福祉」という文言が改憲案では「公益及び公の秩序」に置き換えられ(第三章 第十二条、第十三条、第二十九条の2)、「個人の人権よりも公益や公の秩序の方が大事だ」ということが謳われている。
で、大事なのは、これが我々の日常生活に具体的にどのような形で効果を発揮するかということだが、たとえば、国の過失(原発事故など)で自分や家族が再起不能の病気になったりケガをしたりした場合、国を相手に裁判をしても勝てる可能性が今よりも更に小さくなるかもしれないということ。
個人の人権より公益が優先されるのだから、最高裁で事案を憲法に照らし合わせた結果、「個人は少々のことは我慢しなければならない」という旨の判決が判例として定着するかもしれません。
また、個人の人権の制限は、国との関係においてのみならず、たとえば会社と社員の間にも適用されることになるだろう。
会社が公益性のある事業に携わっていれば、社員はその公益のために身を粉にして働かなければならないとか。
そういう理屈も憲法に後押しされてまかり通るかもしれません。
そうなったら長時間労働や低賃金、パワハラ・セクハラも当たり前になって今で言うブラック企業はある意味消滅したりして。
だってブラックなのが当たり前になるのだから。。。
第十三条の「個人として尊重される」という言葉が「人として尊重される」に置き換えられていることも見逃せない。
たとえば、僕の同業者であるリハビリ職の人たちって「その人らしく...」という言葉が好きな人多いんですけど、そういう概念も改憲後は薄くなるだろう。
個性よりも均質性が重視されて、子供の教育なんかも皆同じような人間になることを目指したカリキュラムが導入されていくことになる。。。
ここまで書いてきて思ったんだけど、なんかこれって昭和の時代に巻き戻って行ってんじゃないの?
そういう時代を復興させたい人たちが自民党には集まってるということだ。
改憲したいなら選挙運動の中でその趣旨を有権者に説明して賛同を得るというのが筋だと思うが、それをしないということ自体が国民を軽んじてるよね。
個人として尊重してない。
たぶん、口にしなければ気づかれぬまま選挙に勝てると、国民をバカにしているんだろう。。。
3年前の憲法記念日にもこのブログで書いたことだが(憲法なんて知らないよ)、憲法って国民を国家権力(公務員)から守るためのものだ。
その憲法が骨抜きになると、また公務員が上から目線で市民に対応することになるだろう。
知り合いの税理士さんが言ってたけど、昔の法務局の窓口ってめちゃ偉そうにしてたらしい。。。
そういう時代がまた来るってことですよ。
憲法は国と国民との関係を規程する契約書みたいなものだが、国側が一方的に書き換えようとしてるんだから、国民にとって有利になる変更などあるわけない。
読むのが面倒くさいからと言って中身を確認せずに軽々しくハンコ押しちゃダメなんだってば。
0 件のコメント:
コメントを投稿