質問の仕方がその人の人生の在り方を決めるという話。
どう問いかけるか、ですね。
たとえば、漠然とした問いかけだと、当然のことだが漠然とした答えしか得られない。
でもあまりにも限定された問いかけをすると、これまた限定された答えしか返って来ない。
良い質問というのは、おしなべて言えば、鋭く(的を得ていて)広がりのある質問なのだろう。
僕は人生のある時点までどんな質問をされてもできるだけ最良の答えに近づくよう必死で回答をしていたのだが、最近は相手の質問のレベルに合わせて気楽に回答できるようになった。
本当は真実はそこにはないと言いたい場面でもその人にとっては知りたい真実はまた違ったところにあるのだろうし、そこで我を張って持論を展開したところで相手がそれを受け入れることはかなり難しいことなんだと無理なく思えるようになったのです。
最近、目撃したケースだと、その人が今いる状態は僕から見ればかなりリスクがあると思うのだけど、その人にとってはそこから抜けて変わることがリスクであると感じている。
ま、よくあるケースですけどね。
これも少し問いかけの仕方を変えるとまた違った風景が見えて来るのだと思うのですが、結局はそうするために必要な大事な何かが欠けているのでなかなか違う形で問いかけることができないのです。
人間の習性として、今いる状態というのは実はかなり危険な状態であっても見えないものと比べれば安全に感じるものなのかもしれません。
話が少し逸れたんだけど、
問う力。
これも知性を測る物差しですね。
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