神戸学院大学 総合リハビリテーション学部 准教授 坂本年将のブログです。日々の生活についてアレコレ書いていきます。専門は脳科学(PhD)とリハビリ(理学療法士)です。脳とリハビリ研究所 Facebook ページ https://facebook.com/cbr.jp
2016年5月31日火曜日
なんちゃってニューロリハ
続けて札幌学会報告記です。今回は専門分野ごとの学会が合同で開催する総会という体で行われましたが、「基礎学会」を中心に聞いて回りながら、「神経学会」そしてぷらっと「徒手療法学会」主催のセッションにも立ち寄ったりしました。意外に「基礎」のセッションは参加者が少なく聞きやすかったんですが、「神経」と「徒手」の会場はわんさかいましたね。臨床にいる人たちからすれば、やはり臨床的な話はより直接的で身近に感じるのかもしれません。僕自身はここで「雑記」の看板を掲げてブログを書いてるくらいですから、一応あらゆる領域で即座に質問できるくらいのgeneralityを有していると密かに自負しているのですが、どちらかと言うと、基礎の話の方が入っていきやすいですかね。神経の話は、前半に脳科学の基礎的な話があって後半に臨床実践の話になるものが多いように思います。でもよく聞いていると、前半と後半がどう繫がるのかよく分からない話も少なからずありますね。それだったら前半の脳の話は要らないでしょ?って感じです。同じ話を聞いている周りの人たちがどう思っているのか分かりませんが、ほんとうにその治療が脳科学に基づいているのかどうかは厳密に考えて欲しいですね。巷には脳を持ち出さなくてもよい「脳科学本」などが溢れていて、それはそれでご愛嬌なのかもしれませんが、曲がりなりにも学術会議で「ニューロ」や「可塑性」といった言葉を使うのであれば、雰囲気だけではなく科学的に治療と結びつけて欲しいですよね。「なんちゃってリハビリ」という言葉があるみたいですけど、「なんちゃってニューロリハ」もそこかしこにあるみたい。
2016年5月29日日曜日
数少ない宝の一つ
札幌から神戸に帰ってきました。向こうは思ったよりも暖かくて北海道に来ているという実感はなかったですね。確か25年くらい前にもここで全国学会があり、そこでの口述発表で学会デビューした覚えがあります。そのくらいの時間が経つといろんなことが大きく変わりますね。昨日も書いたことなんですけど、今日もまた昔からのお知り合いの面々にお声がけ頂きました。思えば、こういう場所で生き残った人たちの多くと懐かしさを共有できることは僕の人生における数少ない宝の一つです。学校を卒業した時にはみんな同じようなものですが、20年、30年と経つと、その道で遠くまで行ける人の数は本当に限られてきます。35キロ地点を過ぎたマラソンの先頭集団のようなものです。まぁ僕自身は途中で抜けて違うレースを走ってましたから、そこには入ってないんですが、僕なりに価値を創出して、またどこかで必然的に合流できると良いなと思います。マラソンのようにコースやルールがガチガチに定まっているわけではないのでね。
理学療法学会に参加してます
一昨日から札幌で開催されている理学療法学会に参加しています。この学会に参加し始めて3年になりますが、そろそろ飽きてきたというか(笑)、馴化してきたというか(w)、3年前に参加した時とはちょっと違った感覚があります。たぶん、ここからが大事なのでしょう。僕の目的はぶっちゃけ広報というか、知名度のアップというか、CBRのセミナー事業のマーケティングにあるわけですが、それとは別に、いろんな講演や発表を聞いていろいろと考えさせられるところはありますね。明朝も早いので、また神戸に帰ってから書きたいと思いますが、できればほかの誰も憚られて書かないだろうことを書いてみたいと思います。だってそうしないと誰も口にしないかもしれないしね。僕は捨て石で良いんですよ。そうして理学療法が良くなるんであれば...と言って、その嫌われる勇気に対し褒められること期待してる人っていますよね...笑。ま、それはさておき、今となっては学会の中枢にいる昔からの知り合いからいろいろ声をかけてもらえるのは不思議というか、有難いですね。僕も次のステージに進まないといけないです。
2016年5月25日水曜日
CBR2016のご案内
今年もまた、夢のリゾートアイランド、淡路島で年に一度のCBR学術集会を開催します。
今年の学会テーマは、
「ヒューマンインテリジェンスとリハビリテーション」
です。
人の知性とこれからのリハビリテーションについて徹底的に議論します。
これからこのブログでも詳細を追加していきますので、楽しみにしていて下さいネ。
毎年のことながら、今年もまた新しい企画を盛り沢山で予定しています。
今年の学会テーマは、
「ヒューマンインテリジェンスとリハビリテーション」
です。
臨床・研究・教育におけるインテリジェンスとは何か。
人の知性とこれからのリハビリテーションについて徹底的に議論します。
これからこのブログでも詳細を追加していきますので、楽しみにしていて下さいネ。
毎年のことながら、今年もまた新しい企画を盛り沢山で予定しています。
9月17日・18日の週末。
兵庫県立淡路夢舞台国際会議場ならびにウェスティンホテル淡路にて開催です。
全国学会落ちたPT◯◯
さて、今週金曜日から札幌で理学療法(PT)学会があります。通称的には「全国学会」と言って地方学会よりも規模の大きな学会です。今年はうちのラボから2演題を一般発表枠に応募しました。が、うち1演題が不採択となりました...涙。残りの1演題も口述ではなくポスター発表です...T_T。なかなか良い抄録に仕上がったはずなのですが、我々にとっては残念な結果ですね。不採択の演題については、「理由は絶対にお伝えできない」「ブラッシュアップが必要です」との旨のコメントが付いていました。我々の研究仮説の一端を検証するために4つの実験を積み重ね、その結果をまとめたものだったのですが、どうブラッシュアップすれば採択されるのか、大きな謎に包まれています。応募演題のうち何割が不採択となるのか正確には分かりませんが、おそらく10〜20%ではないかと想像します。ということは我々のポジションは下位80%以下と認識しておいた方が良さそうですね。なかなかレベルの高い学会です。このような場で発表の機会を頂くためには、我々の研究の水準をもっともっと高めていく必要がありますね。ちなみに、採択されたポスター演題は学会1日目5月27日(金)16時30分〜17時30分 第11会場 にてご覧になれます。演題タイトル:感覚記憶の構築が運動錯覚生成に及ぼす効果。うちの山崎さんが発表しますが、僕もこの時間にはポスター周辺におりますので、興味のある方は是非お立ち寄り下さいネ。
2016年5月24日火曜日
学校で学んだことを実践で活かす経験
うちの4年生の臨床実習第1期が今週末に終了します。4月初めから数えて8週目になります。これだけの長さがあれば、期間中どこかで躓いたりもするでしょうが、ここまで来ればなんとか完走して欲しいですね。学生の場合、学校で学んだことを実践で活かす経験が圧倒的に不足しているので、何をどうやれば良いのかなかなかイメージが付かないようです。経験の不足を補うのがセンス(勘)といったところでしょうか。実習の場合、この勘の良さで差がつくように思いますね。時間をかければ試行錯誤しながら泥臭く実務と知識をマッピングすることが出来ても、数週間の実習の中でそれをやる時間は限られています。分からぬままに何となく時間が過ぎたという学生や、忙しかったようには思うが結局はひたすら見学しレポートを書いて終わったという学生も少なくないかもしれない。ほかの職業もそうなのかもしれないけど、理学療法って理解するのが難しいんですよね。僕も未だによく分からない。たぶんセンスが悪いんだろう...。みんなあと一週間頑張れ!
2016年5月22日日曜日
アカン、ヤバい...。
東京都民ではないですし、わざわざ外野から下らんこと書くこともないんでしょうが、ニュースを読む限り、なんか「セコい」という言葉がピタッとはまるんですよね。貧乏人や商売人がやりくりするのにケチケチするのとはまた違う次元のセコさというか、収入とか資産とかそういう客観的指標とは関係のない、心身の深いところで染み付いてしまっているセコさというか、特に社会的地位のある人の中に時どきこういう人みかけます。というのも、ニュース読んだりこのブログ書いたりしながら、ある「業界大物」の顔が連想されて仕方がないんですよね...笑。ま、でもそういう風にしてセコくやるから「社会的地位」が付いてくるのかもしれません。。。と、ここまで書いて新たに2人同じ業界人の顔が思い浮かんだ...。アカン、ヤバい...。でももうちょっと事例集めて研究してみたい気もする。
一つ書き残すとすれば
今日はうちの大学院生の誘いで日本ニューロリハ学会に参加してきました。ポートアイランドにある神戸国際会議場でありました。実はこういう学会があるのを知らなかったのですが、今年で7回目の大会となるようです。。。朝8時から夕方5時までほぼ休憩もなく、ぶっ通しでレクチャーがありました。お昼も学会側から弁当支給でランチョンセミナーです。。。どうやらお医者さんたちの集まりのようでしたが、工学、生理、細胞系の話もきちんとあってかなり刺激を受けました。PhDの集まりである神経科学会ともまた違って、完全に臨床-oriented な学会です。いろいろメモ代わりに書きたいことはあるのですが、一つ書き残すとすれば、療法士のいないところでリハビリはどんどん進歩しているということですね...。セラピストを育てる立場にある者の一人として、どうすれば研究、と言うよりはまず教育のレベルアップを図ることができるのか。改めて考えさせられる一日となりました。
2016年5月19日木曜日
僕もそれは違うと思う
先日、うちの大学院生とのミーティングがあって、たまたまその時来ていたお客さんを交えて坂本ラボの特徴について議論した。いろんな観点から検証したけど、客観的に見て、院生にとってはなかなか良いラボですね...笑。詳しく書くのは控えておくけど、、、「セラピストのための」ラボとしては価値観とか指導法とかが個性的(ユニーク)であるという結論になった。あ、コレ、僕が言ったことじゃないですよ。うちの院生たちが言ってくれたことです。でも、自分がこれまで暗に彼らに伝えようとしてきたことがしっかりと伝わっていて嬉しかったですね。「セラピストで研究に通じている人と、研究者でセラピーに通じている人とは違う」というのはなかなかの名言でした。僕が「研究者」であるかどうか、セラピーに通じているかどうかはさておき、僕もそれは違うと思う。彼らがラボの門を叩いた頃はたぶん何のことだか良く分からなかったと思うんですが、時間をかけてその溝が埋まってきたということなんでしょう。CBRのセミナーもそうだけど、大学院ではさらに密にこういう種蒔きをしていきたいですね。必要なのはコミュニケーション力。
2016年5月17日火曜日
コミュニケーション力
さて、今日はブログをお休みにしようかと思ってたんですが、やっぱり書いておこうと思って書いてます。書いておくべき時に書いておかないと書きそびれてしまうのでね。コミュニケーションの話なんですけど、ちょっとしたことが相手に伝わらないことってありませんか。送り手と受け手の間で「うんうん分かりました」と円満に合意しているのに互いに全く違う形で了解していること。たとえば「全力でやります」とか「配慮します」とか「誠意を持ってやります」とか言っても「全力」「配慮」「誠意」の定義やその言葉を行為で表す時のやり方は人それぞれだと思う。話はちょっと飛躍するが、経験のあるベテランとない新人が同じ言葉を使っていたとしても、その言葉が含意するものは両者の間で随分と異なるかもしれない。誰かを指導する時に十分に伝えたつもりが実は伝わってなかったということは珍しいことではないだろう。真面目に聞いていなかったとか、そういうレベルの話ではない。その言葉によりイメージされる世界が人により異なるということだ。この差を埋める力が「コミュニケーション力」なんですよね。
2016年5月15日日曜日
査定と言えば
この週末はほっとで野球観てました。今日はその予定はなかったんだけど、朝からあまりにも天気が良過ぎて家にいるのがバカバカしくなってしまった。球場まで車で5分、走って15分なんですよ^^。今日は両チームのスコアラー(記録員)さんたちの隣で観てたんですが、ビデオ撮影しながら、一球一球、ピッチャーが投げる球種やコースなどをパソコンと記録紙に書き込んでいくんですね。こういうデータ収集の積み重ねがレポートになって監督やコーチに手渡され作戦が練られていくようです。選手の査定にも活用されているのかもしれません。。。で、査定と言えば、選手の年俸ってどうやって決まるんだろと今日ふと思った。きっかけはオリ4番の◯ランコがチャンスに3三振で、この人には一体いくらの値段がついているのだろと思ったわけです。息子が持ってた選手名鑑によれば2億5000万円とか。昨夜サヨナラ打を打った中◯の1500万円と比べるとエラい違い。あれだけ活躍している西◯ですら1800万なのに。。。金◯の5億はうなづけるとしても、◯島の3億5000万円は誤植じゃないの? いかんいかん、口がすべってしまった...。でも、こうやって良く見てみると、実績のある(特に移籍選手ほど)「前払い」になってしまうので、球団としてはきちんと納品されなかった時のリスクを負うことになりますね。会社員の世界にも通じるとこあるかもしれない。
2016年5月14日土曜日
その気(け)はありそうなんだよね
今日、何人かの学生からパワハラの現場を見たとの報告があった。本学に在籍するある男性教授が格下の女性教員に対し威圧的な態度を取っていたというものである。詳しく話を聞いてみると確かにその気(け)はありそうなんだよね。。。こういう案件はどうしたら良いんだろ? 見て見ないフリするのが良いのかな。関わり合いになるとややこしいよね...。ま、僕自身も実は以前にある教授先生から嫌がらせを受けてパワハラの申立てしたことあるんですよ。全学的に1年くらい審議されてたんだけど、コレ話出すと長くなるのでまたいずれこのブログで時間かけて詳しく書いてみたいと思ってます。余談になるけど、その時の印象からすると、学内にある「ハラスメント相談室」って表向きは被害者のためにという看板掲げているんだけど、実のところは被害者の救済のためにあるのではないんですよね。ほら、そういう相談室があると、一応大学としてそういうことに取り組んでるって感じ出せるじゃないですか...^^。でも実際にはその入口のところで持ち込まれた案件揉み消す役割を担ってるんだよね。なんかスゴい思い出して来た...。せっかくだから、またいずれその仕組みについても詳しく書いてみたいですね^*。
2016年5月12日木曜日
根拠の無い自信の行き着く先
「根拠の無い自信」という言葉を時どき耳にすることがある。つまりエビデンスの無い自信で、何かは分からないのだが「自分はうまくやれるはずだ」と思えることである。こういう自信があると成功しやすいと言われているようだが、果たしてどうか。。。確かに楽観的であることは悲観的であるよりも幸運を引き寄せやすいのかもしれない。だが、こういう自信だけで勝ち続けることは恐ろしく難しいだろう。なぜなら遅かれ早かれ「根拠のある自信」を持った相手と戦うことになるからである。「セルフイメージ」という言葉も同様である。いくら「自分はできる」と何百回唱えたところで空の中身が詰まることはない。そういうイメージは積み重なる事実と向き合うことで次第に現実の姿に収斂していくことになる。諸君、そんな言葉に騙されてはいけない。裏付けを持とう。
2016年5月10日火曜日
日本全体で見た時に
さて、ここ2回ほど異なる切り口で大学院の話を書いてますが、日本全体で見た時に、大学院(生)のレベル(たとえば国際的信用)って下がってきてるみたいですね。手元の資料によれば、20年ほど前にアメリカに負けるなと日本の国策として大学院を強化・拡張し始めたらしいのですが、どうやら学生が院を出た後のことまで考えてなかったようです。そのため大学院に行ったばかりに定職に就けずに人生設計が狂ってしまったという人たちがたくさん出て来た。そうなると後に続く人たちはデキる人ほど早々に就職してしまい、大学院に優秀な人材が集まらなくなったとか。。。ありそうな話ですね。またこういう流れとは別に政府の規制緩和により、それまでには存在しなかった専門領域(たとえばリハビリテーション学など)が大学の学部・学科、そして大学院の研究科を構成するようになったのですが、これも日本の大学院(学位)の劣化に加担しているように思われます。。。自分が中にいてそこだけしか知らないとなかなかそんな実感は得られないと思いますが、我々新参者としては、外からはそういう風に見えているという可能性も頭に入れて教育・研究の質向上に励んでいかないといけないですね。
2016年5月9日月曜日
学歴ロンダリング
今日たまたま手に取り読んだ本に「学歴ロンダリング」という言葉があった。世間ではもう随分長い間使われているスラングのようですが、知らなかった...。でもその意味することはスゴく理解できた。つまり、出身大学よりも偏差値の高い大学の大学院に行き、「最終学歴」の見栄えを良くするというものだ。たとえば、神戸学院大学の◯◯学部を出た後、東大の大学院に進学するといったことです。ちょっと例えが具体的すぎるかな...?でもつまりそういうこと...。ロンダリング(laundering)というのは「キレイにする」といった意味があるけど、ここでは「マネーロンダリング」(銀行間の資金移動を繰り返すことによってヤバいカネの出所を隠すこと)をもじって使われているみたい。だから良い意味じゃないんだよね。こういう隠語が使われ出した背景には大学院の方が学部より入りやすいという事情があるようなのですが、ま、そうして学歴を装飾することだけを狙って進学する学生よりもそういう事情を作り出している側により大きな責任があるように思いますけどね。ちなみに、大学院ではないけど、旧帝大のリハビリ系学部プログラムに進学するような場合はそういう風には言わないんですかね?ちょっと話の本質は違うのかもしれないけど...^^
2016年5月8日日曜日
学ぶ力
さて、来年4月の入学時期に向けて大学院生(修士・博士)を募集します。神戸学院大学総合リハビリテーション学部坂本年将研究室です。現在、当研究室では運動学習、感覚構築、疼痛緩和などをテーマに、脳科学・認知科学的側面から基礎ならびに臨床研究に取り組んでいます。最近、いろんな人たちと話をしていて、指摘されることですが、当研究室に興味はあれど、なぜか敷居の高さを感じている人たちが存在するとか。。。どうやら坂本は怖いヤツだと思っている人もいるらしいのですが、特にそういうわけではありません。ロクに教えもせずに「そんなことも知らないのか〜」とか「お前らはまだまだだ〜」とか言ってプンプン偉そうにするなんてことないですし、「ノックもしないで研究室のドアを開けた〜」なんて言って学生を不合格にするなんてこともないです。。。そもそもちょっと聞きかじったくらいの知識を持っていようがいまいが大差ないことですし、そんなことよりも僕と関わって得られるものをドンドン吸収できる学ぶ力(学力)を持っているかどうかの方がよほど大事です。深層に対する関心と言うか、希少なものに対する敬意というか、目に見えないものに対する憧れというか、そういう学術・研究に対する価値観を持っているかどうか、理解できるかどうかが大事です。臨床に役立つ研究はもちろんのこと、学術的にも意味あることしたい人を歓迎します。連絡先 info★toshiz.net(★を@に)。
2016年5月5日木曜日
ごくごく限定された経験論ですけど
今日は「こどもの日」でした。神戸は天気が良くて爽やかでした。先日の憲法記念日もそうですが、せっかくそういう祝日があるのだから、その日のテーマについて考えることも悪いことではない気がする。「子供」と言うと、やはり未来の話になるんでしょうね。僕が子供だった昭和の終わりと今と比べて、子供にはいろんなチャンスが与えられていると思う。たとえばインターネットがそうですね。ネット回線に繫がりさえすれば、誰でもそこにある情報にアクセスすることができる。教育も昭和の時代だと根性でなんとかなるみたいな感じでやってたのが、少しは科学的になったんじゃないでしょうか。でも、実際にはそういうチャンスを活かして夢を膨らませている子供は少なくなっているようにも思います。ま、これは僕の周りにいる、すでに比較的大人になった子供たちを観ての話なので、ごくごく限定された経験論ですけどね。リハビリ系の場合、もともとが異様にやる気のある人たちが集まるところだったので特にそう感じるのかもしれませんが、今では情報がいろいろと得られる分、なかなか大きな夢が描きにくくなっているのかもしれません。。。まぁそれはそれとして、一般的に小学生くらいまでだとそれほどの個人差もなく基本的には前向きなエネルギーに満ち溢れていると思うんですが、中学生以降、人生のキャリアを積むにつれて目が死んでいくような世の中であってはならないと思いますね。
2016年5月3日火曜日
結構すぐに
憲法記念日二つ目の投稿です。昨夜一つ目を書いた後、自分が書いたことについてなんとなく考えてたんですけど、戦争ができる国にするとか、国民の人権を制限するとか、そういうことに関心がある日本人って本当に少ないんだろうなと思う。かくいう僕も「戦争はない方がいいな」とか「言いたいことを自由に言えなくなるのはヤだな」とかいう思いはあっても特に政治的な活動をしているわけではなく、そのうち(関心のない人たち)の一人なんですけどね。そもそも主権在民と言っても、多くの日本人にそんな権利意識は根付いてないし、国のことは偉い人たちに任せとけば良いといった根強い感覚あるんじゃないですか。だから「戦争再開」とか「言論統制の強化」とかそういう時代になったらそれはそれで結構すぐに適応できちゃう国民なのかもしれない。どういう経緯で決まったかはさておき、「上」で既に決まったことに対し猛烈に従い馴染むことは日本人が極めて得意とするところである。どうやら夏の選挙は「改憲選挙」になりそうな感じがするね。ま、我が同業者であるリハビリ療法士(セラピスト)たちにとってみれば、改憲とか言論とかそんなことよりセラピスト議員を国政の場に送り込めるかどうかがより重要なテーマなんですけども。。。
全く興味はないと思うが
さて、日付が変わって今日は憲法記念日ですね。一年に一回くらいチラっと憲法について考えてみても良いかと思う。たぶんリハビリ療法士の大多数はそんなことには全く興味はないと思うが、知らず知らずのうちに巡り巡って自分たちが気がつかないところで関係してくるかもしれない。。。今、自民党からこんな改正案が出ているらしいのですが、先日ネットで読んだ記事によれば、第三章 国民の権利及び義務の章で「公共の福祉」という文言が「公益及び公の秩序」に置き換えられ(第三章 第十二条、第十三条、第二十九条の2)、このことによって国民の基本的人権が今よりも制限されようとしているらしいのです。手短に言えば「個人の人権よりも公益や公の秩序の方が大事だ」ということを憲法で謳おうとしているとか。これが具体的にどのような形で効果を発揮するかと言えば、たとえば戦争かな。国益のための戦となれば、個人の人権(たとえば兵役拒否とか)は無視できるってことになるんだろうね。そして公の秩序を乱すような言論も憲法を根拠に厳しく取り締まられることになるのかもしれない。3年ほど前にこんなブログを書いたことがあるんですが、国民を公務員組織から守るために作られた現在の憲法がまた少しそれ以前の形に戻ろうとしているのかもしれませんね。
2016年5月1日日曜日
心的素質
連休もだいぶ過ぎたように思いますが、まだ序盤。これからまだまだ続きます。今でこそ現役でありながらリタイアライフを満喫していますが、20代や30代の頃はGWと言っても仕事ばかりしていたように思う。人から「休みの日は何してるんですか?」と聞かれてもそもそも休みがなかったので「仕事してます」としか答えられなかった。が、しかしだからと言って当時の生活が灰色であったというわけでもブラックであったというわけでもない。仕事をするのが自分にとって最大に有意義な時間の過ごし方だったというだけだ。別に誰かに指示されてやってたわけではなかったしね。好きでやってたんですよ。だから周りで遊んでる人たちがいても羨ましくも何ともなかった。他人(ひと)は他人で好きにやれば良いし、自分は自分で好きなことをやりたかった。ただそれだけのことです。これはこれから仕事面でキャリアを築こうとする人たちに向けてのアドバイスだけど、休暇を楽しんでいる周りの人たちが気になったり羨ましいなんて本気で思うようなら、心的な素質として少し難アリだと思うし、それではまず大成することはないと思う。ま、とは言っても、僕が今いる業界に関して言えば、そこまででなくてもなんとかなるみたいですけどね^^
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